龍馬に先駆けた男が通った道。
幕末維新博が幕を開けて熱がまだ冷めやらぬまま
次のイベントが開催されます!
龍馬が脱藩した事はとても有名ですが、龍馬より先に脱藩した志士が津野町には、います。
その名もよしむ、、、、
!?
シュッ
ふははは、このブログ記事は乗っ取ったトラ!
わしゃあ維新の魁 吉村虎太郎先生にあこがれちゅうトラ太郎じゃトラ。2回目の登場じゃトラ。
吉村虎太郎先生の事じゃったら、だまっちゃおれんちやトラ!
ここで虎太郎先生の庄屋時代のエピソードを一つ。
虎太郎先生は12歳という若さでお父さんの後を継いで北川村(現津野町)の庄屋になったトラ。
庄屋っちゅうのは、前のブログにも書いたけんど、今でいう村長のようなもんじゃトラ。
子供店長ならぬ、子供村長じゃトラ。すごいトラ。。
それから各地の庄屋について、隣町の梼原の庄屋にもなったがよトラ。
そしてそこで作った「石の金庫」がこじゃんとすごいトラ!
虎太郎先生は、非常時に備えて、村民に貯蓄を勧めたがよトラ。
安心してお金を預けられるように、虎太郎先生が1人ですべてを管理するんじゃのうて、村の長老とそれぞれで鍵を1つずつ管理して、2人がいないと開けられないようにしたがじゃトラ。
すごい発想なんじゃトラ!危機管理能力も、政治的能力もズバ抜けちゅうトラ!
さすが虎太郎先生!
石の金庫は現存しちょって、檮原町の歴史民俗資料館(梼原千百年物語り)に展示されているんじゃトラ。
ぜひ見に行ってほしいんじゃトラ。
そして虎太郎先生は、「同じ天皇の民である庶民を預かる庄屋は率先して、国のことを考えるべきだ。」と活動をはじめ、武市半平太先生が結成した土佐勤王党に加盟して、
「新しい国造りのために、土佐勤王党もこの機に立ち上がらねば」と説得をするが、
武市先生は
「土佐勤王党を結成したがは、藩をあげて倒幕を進めるためぜよ」と言われしもうて、
想いは同じでもやり方の違いにギャップが生まれてしまったがよトラ。
いてもたってもおれんかった虎太郎先生は、同志の曽和伝左衛門(そわでんざえもん)や同郷の宮地宜蔵(みやじぎぞう)を説得して、ついに脱藩を決行したがじゃトラ。
当時の脱藩は大罪で、家族を捨てて命をかけることになるがじゃトラ。
自分の地位や家族を捨ててまでも国の将来の事を考えた実直な行動力に本当に頭が下がるんじゃトラ。
ほんでよ、、、
ちぇっ、
また邪魔が入ったトラ。
もっともっと話たかったけんどさらばだトラ―!
シュッ
・
・
すいません、また乗っ取られちゃいました。
以下がイベントのチラシになります。
虎太郎が渡ったであろう、沈下橋の原型となったといわれる早瀬の一本橋や
毎年津野山古式神楽が奉納される諏訪神社にもいきます。
※都合により内容が変更する場合がございます。ご了承ください。
ぜひお誘いあわせの上、ご参加くださいね♪