【寄稿】【奥四万十博PR記事⑦】梼原町民に親しまれた木造芝居小屋「ゆすはら座」が素晴らしい!あの人のサインが・・?!
こちらは、第7回目の記事です。
前回までのあらすじ
奥四万十博のPR企画で「奥四万十地元だよりの旅」をやることになったありんど高知の4人。
その企画内容は晩御飯をかけて、地元の人がオススメする場所をひたすらめぐる、ドタバタ企画だった・・・。
ボクたち年少チームは、梼原の「イタリアン INDY’S(インディーズ)」さんを紹介されご飯を食べ、その後梼原の”町並み”を散策していました!
前回の記事はこちら
http://kochi-arindo.com/omoshiro/2015/11/17/8600
姑息な手を使って「ホビー館」に行っていた年長チームの記事はこちら!
http://kochi-arindo.com/omoshiro/2015/11/18/9277
(ホビー館にも行きたいと思う年少チームであった)
梼原町役場で、教えてもらった「ゆすはら座」へ!
皆さん、梼原にある「ゆすはら座」ってご存知ですか?知っている人は知っている有名な建築物の様ですが知りませんでした。
今回、2016年度から行われる「奥四万十博」のPRの為に、ゲーム形式で旅をしているわけですが、前回「梼原町の町歩きを楽しんできたよ!!」で、梼原町役場の方に、「『ゆすはら座』はぜひ!」とオススメされました。
「梼原=○○」と皆さんの中で連想するものがあると思います。いや~「ゆすはら座」は、想像してませんでした。さぞ何かあるんでしょうね。胸が躍ります。
まさかの梼原町役場から徒歩1分の距離にありました。さすがコンパクトシティ梼原。町歩きの中の1つのポイントとして回れますね。
戦後、梼原町民に親しまれた「梼原公民館」!
こちらが「ゆすはら座」です。とてつもない歴史、文化を感じる雰囲気!!
この建物は、大正時代の和洋折衷様式を取り入れた建造物で、モダンな外形に花道のついた舞台、2階の桟敷席、天井の木目の美しさ、また、高知県下では唯一の木造りの芝居小屋で、芝居や歌舞伎、映画上映など住民の娯楽の殿堂「梼原公民館」として親しまれてきました。
引用:ゆすはら座│観光│梼原町観光情報
もともとは、昭和23年に町組(=自治組織)によって建設された「公民館」でした。”梼原公民館”という名前ですが、その当時は、芝居や歌舞伎、映画上映などが行われる町の「文化」「芸術」を楽しむ拠点として役割を担っていました。
とても素敵な外観なのですが、いま見ているものは当時と同じものではありません。平成7年に、北町から移転・復元されたものなんだそうです。
維持運営上の問題から一時は、町組において取壊しの決議がされましたが、各方面からこれを惜しむ声が高まるとともに、町にとっても価値ある貴重な建物であり、平成6年12月5日町保護有形文化財に指定し、移築して保存することになったものです。
引用:ゆすはら座│観光│梼原町観光情報
戦後から長い間親しまれた「梼原公民館」ですが、時代とともに維持に対する課題が出たようです。それでもなお、町民から保存の声が出るというのは、親しまれていた証拠ですよね。
こちらが、改修前の公民館だそうです。現在の形とそっくりですね。
ぼくらが行った時にすでに観光客の方がいました。もしかすると、梼原観光では定番の場所なのかもしれませんね。
ゆすはら座は、高知県内で唯一の『木造芝居小屋』だそうです。
天井の模様がとても綺麗。どこかモダンな雰囲気も感じられます。
2階席に上がることもできます。
20人ほどは座れる席があり、舞台をしっかり見ることができます。梼原公民館の時代の町民は、このようにして映画やお芝居楽しんでいたんでしょう。
戦後、独自にこれほどまでの建物を持っているというのは、相当な財力・資源があったんだったんでしょうね。外の文化に触れる機会があるというのは豊かな証拠だと思います。
梼原町の役場をデザインした隈研吾さんも「ゆすはら座」に訪れたことがあるようです。
梼原は、梼原座という木造の芝居小屋があって、その芝居小屋が取り壊されるという話が持ち上がり、「これはいい建築なので壊さないように町長を説得してほしい」と高知の友人に乞われ、現地に赴いた。そのとき町長と知り合いになり、依頼された仕事です。
引用:大きな失意のなか地方へ、隈研吾氏に聞く(5)(新しい建築の鼓動2010)
舞台裏もありました。ここで演者さんが化粧していたんでしょうかね。想像力を掻き立てられるゆすはら座の雰囲気に感動していました。
おーかわくんが突然、
そこには、おそらく元ドラえもんの声優「大山のぶ代」さんのだと思われるサインがありました!その他にもいたるところにサインがありました。訪れた人、舞台に立った人のものでしょうか。たくさんの方が訪れているんですね。
移転・復元時の記録写真がありました。町民にとってはとても大切なことだったに違いありません。
現在でも「梼原芸術祭」といった催しが、ここ「ゆすはら座」で行われているようです。こうやって、その当時の雰囲気を引き継ぎつつ梼原町民に親しまれていくんでしょう。
「梼原公民館」から「ゆすはら座」へと姿を変え、残りこれからも残っていく。
町民が残したいと思う、その気持ちが少しだけわかった気がします。今度は催しが行われている時に訪れたいものです。
ぜひ、梼原に行かれた際は、役場から徒歩1分の距離にありますので覗いてみてください!
とても素晴らしい場所でした!
次のポイントに向け聞き込み再開!
というわけで、一旦「雲の上のホテル」まで帰ってきて聞き込みをしました!
今度は、温泉ではなく「ホテル」の受付で聞いてみました!
というわけで、次回どこをオススメされたのか!
どこに行ってしまうのか!お楽しみに〜!
これまでの「奥四万十博PR」記事一覧(①〜⑥)
http://kochi-arindo.com/omoshiro/2015/11/13/8487
http://kochi-arindo.com/omoshiro/2015/11/14/8489
http://kochi-arindo.com/omoshiro/2015/11/15/8594
http://kochi-arindo.com/omoshiro/2015/11/16/8491
http://kochi-arindo.com/omoshiro/2015/11/17/8600
http://kochi-arindo.com/omoshiro/2015/11/18/9277