第二三島橋
三島の右岸の国道381号線側が第一三島橋、左岸の轟集落側が第二三島橋です。
第一三島橋は昭和41年、第二三島橋は昭和42年の架橋で、この2つの橋が完成するまでは渡し舟が運航されていたそうです。
中洲で左右に分流する四万十川は、右岸側は比較的緩やかであるが、左岸側は轟の瀬と呼ばれる急流で、古来より往来の難所だったそうです。
この2つの橋の架橋により、中州・三島と両岸の往来が容易と なり、中州での農作業も大きく向上しました。
中洲・三島という独特の地形のなかでの農業という営みによって、四万十川に季節ごとの彩りを添えています。轟集落の人々に生業を与えるとともに、それを支えてきた沈下橋です。
第一三島橋は昭和41年、第二三島橋は昭和42年の架橋で、この2つの橋が完成するまでは渡し舟が運航されていたそうです。
中洲で左右に分流する四万十川は、右岸側は比較的緩やかであるが、左岸側は轟の瀬と呼ばれる急流で、古来より往来の難所だったそうです。
この2つの橋の架橋により、中州・三島と両岸の往来が容易と なり、中州での農作業も大きく向上しました。
中洲・三島という独特の地形のなかでの農業という営みによって、四万十川に季節ごとの彩りを添えています。轟集落の人々に生業を与えるとともに、それを支えてきた沈下橋です。
- 住所
- 高知県高岡郡四万十町昭和甲126-1
- 連絡先
- 0880-29-6004(四万十町観光協会)
- アクセス
- 車/四万十町中央ICから車で約45分 公共交通/JR土佐昭和駅から徒歩約25分