天徳山吉祥寺

開山は大永年間(1521~1527)天徳祐和尚と伝えられている。開山から廃仏毀釈までの宗派は臨済宗であった。津野氏時代は、津野山六か寺の一つで石禄も給せられていた。津野氏の敬信も篤く、逆修般若経の奉納、定朝作の大日如来像も安置され、津野氏の全盛時代を物語る資料もあったが、明治初年の廃仏毀釈に支えきれず、一時廃寺となった。地元有志の奔走により、明治7年(1874)頃より旧城川町魚成龍沢寺末善福寺、京都妙心寺僧侶により運営された模様であるが、明治19年(1886)復立、曹洞宗となった。昭和7年(1932)秋、本堂の建立が行われ、復立四世本龍仙真和尚晋山後順次寺門は整えられた。京都大仏師駒野丹下が享保元年(1716)作の聖観世音菩薩、大日如来、地蔵菩薩の三尊仏像と大般若経六百巻が保存され、京都三条釜屋勘兵衛作の鰐口(当時の庄屋中平左近進定珍が宝永7年(1710)寄進)が掛けられている。津野親忠(孝山)の命日(9月29日)には毎年、孝山祭として歴代津野氏の供養が行われている。

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